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確固とした信仰心もないのに、仏閣に安堵を見出せるようになったのは、
ぼくが年を取ったからなのか、仏閣の持つ雰囲気がそうさせるのか、
それはそもそもそういうものなのに、ぼくが気付かなかっただけなのか。



先日の尾道散策の際に、古寺巡りを行う観光客の姿をずっと観察していて、
みんなが単に古い建物を見たいだけ、のようには全く思えなくて、
ぼんやりといろんなことを考えていました。


例えば、ぼくに信仰心がないのは、あくまで自分なりに解釈している分には
ぼくはまだぼくを信じているし、信じていられるし、他人のことも信じていこうと
思えるからだと考えています。と同時に、それはひとえに、ぼくが若いからであり、
健康だからであり、いろいろな意味で幸福であるからだ、だからなんだ、とも思う。


これが、年を重ね、身体も弱くなり、気持ちも弱くなって
だんだんと幸福を感じられることも昔より少なくなったとしたら、どうだろう。


毎日を、ただ過ごしていられることを、感謝せずにはいられない。
感謝の念がなければ、人はただ不安になるだけだと思う。


人は、みな心に平穏を求めている。その先にあるのは、
生きることへの喜び、生きていられることへの感謝だ。


だから、神社に行く、お寺に行く。それも単に表現の一種だと考えます。
誰もが姿かたちあるものに対して、いくら無償であっても「求める」という
行為ができるわけではないと思いますゆえ。


皆、思い思いに求めている平穏を無条件に与えてくれる土地へ参って
その圧倒的な存在に、感謝し、敬い、一心に祈る。
その存在は語らない。決して責めない。それでいて、いつでも迎えてくれる。


なるほど、ありがたやありがたや、と不意につぶやく人がいても
それでぼくには納得できる。本心なんだ。それは一途で控えめな。


--
と、あくまで個人的な見解です。なんだかジジくさいか。
まぁ、たまには。はい。


タイトルとかけ離れてごめんなさい。
では、ここからが浄土寺の紹介。一気にいきます。


尾道 浄土寺
重要文化財・阿弥陀堂(左)と国宝・多宝塔です。



重要文化財・阿弥陀堂。



国宝・多宝塔を見上げる。



国宝・多宝塔を正面から。



鳩もあなたを出迎えてくれます。


お参りは、徒歩で行ってください。車は停められないと思ったほうが○です。
場所は、尾道私立図書館から東に数分歩いたところ。
細い道を、付近の住民の車が、ゆっくりと下りてくることがあるので
通行には気をつけてください。


あと、下記の参考のところ、公式ホームページを紹介させていただきました。
尾道で活躍されている写真家さんが監修しているようですね。
恥ずかしながら、庭園の存在を知らなかったので、ぜひ行って観たい。
有料って、おいくらなんでしょうね。


地図) 尾道 浄土寺(ドコイク?)


参考) 真言宗泉涌寺派 大本山 浄土寺 公式ホームページ


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コメント

浄土寺...

ちょっとした思い出のあるお寺ですね..

私もそれほど信仰心のある人間ではありませんが、お寺や神社はなぜか好きです
「ひとつの表現」とされていましたが、まったく同感です
感謝の心はとても大切で、それを表せる普遍的対象が信仰なのかもしれませんね...

古いものや大きいものを見ると、
もはや理由なしにただ圧倒されてしまうぼくです。

昔の人が、巨木や巨岩を奉っていた気持ちが
なんとな~く分かる気がします。
ただただその存在に圧倒されるばかりで、
ああ、勝てっこないなぁと思うんです、
勝つってことがどういう意味なのかも分からないまま。

書き込みどうもありがとうございました!

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